陶芸家・信楽 穴窯 (波布里窯)青木克之・作品集

 (しがらき はふりがま)

〜信楽波布里窯〜

 羽振(祝園)は,古代、大和、山城、信楽、近江を結ぶ文化交流の道筋でありました。  古代から脚と車で運ばれたでありましょうこの道は、なだらかな蛇行の坂道であり、沿道にそっての谷川と茶畑との調和は、今も古をしのぶ道であります。 私、この紫香楽宮趾の南方、勅旨の地に昭和52年(1972年)穴窯を築き、自然に調和する火色の美しさ、ざんぐりとした肌やビードロの自然釉に心をひかれ、古き日本の伝統美をもつ焼物の創造に精進してまいります。             

        陶芸家 青木克之

『波布里窯』名称の由来

 『羽振り』の名称は、十代崇神天皇(御肇国天皇・はっくにしらすめのみこと)の頃の故事に依拠する。 京都の南端木津川の西に、相楽郡精華町(祝園 ほうその)という地名がある。祝園の地名の由来は、歴史、を遡ること古く、十代崇神天皇の頃、武埴安彦が山背(やましろ)の地で謀反し、彦国葺(ひこくにぶく)がこれを討伐したときの故事に、『屍骨多に溢れたり.故、其の處を號けて、羽振苑と臼う。(日本書記巻五)』『亦其の軍士(いくさびと)を斬りはふき。故、其の地を号けて波布理曽能(はふりその)と謂う。(古事記)』とあることによる。 なお、祝園、木津、信楽は古くより奈良、京都を結ぶ交通の要衝にして、文化的にも密接な交流が行われたものと思われる。

 ここに、信楽焼の古き伝統をふまえて信楽の地に穴窯を築き、波布里窯の名称を附す。

信楽大窯(高さ約42,5cmx径約37cm)・2001年 志野水指し』・2003年
信楽穴窯・大壺』・2003年 信楽壺』(高さ約38cm)・2005年

陶芸家・信楽 穴窯

(波布里窯)

青木克之略歴

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 1946年 三重県に生まれる。

 1971年 京都教育大学特修美術科彫塑専攻卒業

       在学中に八木一夫氏に陶芸の手ほどきを受ける

 1973年 京都工芸繊維大学、大阪大学(研究生・聴講生)

       この間、信楽にて登り釜、穴窯の焼成技法を学ぶ

 1977年 穴窯を築窯、焼成をはじめる

 1992年 東京 渋谷、黒田陶苑にて個展

 1994年 東京 新宿小田急百貨店にて毎年個展

 1995年 大阪 阪神百貨店工芸サロンにて個展

 2001年、'02年 横浜そごう・神戸阪急にて個展

       他、東京、京都、大阪、奈良、鹿児島等 各地で個展

 信楽・穴窯(波布里窯):滋賀県甲賀群信楽町勅旨

 アトリエ:奈良県奈良市鳥見町三丁目二番地の六号

      〒631-0065         TEL:0742-46-2584